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Bestshot10


第30回 茅葺屋根

   京王線の芦花公園駅近くに明治の文豪、徳富蘆花の旧宅、蘆花恒春園がある。そこには武蔵野の雑木林や竹林が残され、茅葺屋根の建物が4棟あった旧宅のうち、3棟が保存されている。徳富蘆花がこの地を選んだ思いや経緯は「故人に」では「都も鄙も押しなべて白妙を被る風雪の夕」と詠み、「儂はヨリ多くの田舎を好むが、都会を捨てることは出来ぬ」として、この地を選んだとしている。この地は徳富蘆花が旧宅を買い求めた、明治期末頃は千歳村として武蔵野の面影を強く遺していた。そして、茅葺の建物にこだわったのは、私小説「千歳村」の中で熊本の生家を思い出し「茅葺をつたふ春雨のしずくのように昔のなつかし味が彼の頭脳に滲みて居た」ともしている。自然主義文学の第一人者であった徳富蘆花にとって茅葺屋根の住居は、創作活動の場として必須であったのだろう。
​ 日本において竪穴住居の時代から続いてきた茅葺の建物は、いまや技術伝承すら困難な時代になった。しかし、この伝統をいかに守り、継承していくかという難題を、各地で限界集落がふえ、廃屋が目立つようになった今、突きつけられている。
引用文献:「徳富蘆花「蘆花全集第9巻」 新潮社 昭和3~5年 国立国会図書館所蔵

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