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Bestshot10


第33回軒下の造形

  日本の建築物、とくに神社仏閣を撮影する時、その独特な技法、構造である軒や庇が作り出す深い陰翳を、どう表現するかが重要だと思っている。くっきりとした立体感、量感、色彩感にあふれる欧米の建造物とは違い、明らかに翳を意識しこれを引き出す力が必要となってくる。それゆえ、日本建築の構造を支える重要なパーツである軒下をよく見ると、時代によって、その造形に変化があり、それぞれの時代の造形美があり、建築技法の奥深さを感じさせてくれる。
 例えば、現在、遺されている世界でもっとも古い飛鳥時代の木造建築物、法隆寺について、大正、昭和初期を代表する建築家伊東忠太は17の特性をあげ、そのなかで軒下あるいは軒回りについては「八.科栱(建物の柱の上で軒を支える組物)の制特異にして、雲斗、雲肘木を用ひたり。九.垂木は粗大にして一定の『割』なし。十七.『絵様』及び彫刻は全然欠乏す。」など5項目ほどの特徴を述べている。この飛鳥時代の建造物と比べ、時代が下った天平時代の建造物については、「著しく形に於いて洗練されている」としたうえで、軒廻では「蟇股も既に成熟して現れ来り、垂木も直線を描き、其の他多くのものが軟か味をもつた曲線になり、まことに気持ちのよい建築になる」と評している。事例として、当時に作成され、現在も保存されている海龍王寺の五重小塔を挙げている。さらに平安時代になると「ますます曲線が多く軟か」な優美の姿となり、日本化したとしている。
 また、哲学者の和辻哲郎は、法隆寺金堂については「屋根の勾配が天平建築に比べて特に異国的ともいうべき感じを伴っているのは、その曲線の曲度が大きくまた鋭いからであろう。講堂は藤原時代の作であるから、曲がり方がはるかに柔らかくなっているが、それを金堂に比べると、尺度の上の相違はわずかでありながら感じは全然違っている」とし、それに対して、天平時代の遺風をのこす唐招提寺金堂の例では「寄せ棟になった屋根の四方へ流れ下るあらゆる面と線との微妙な曲がり方、その広さや長さの的確な釣り合い、——それがいかに微妙な力の格闘(といっても、現実的な力の関係ではなく、表現された力の関係である)によって成っている」とし、「この屋根とそれを下から受ける柱や軒回りの組み物との関係には、数えきれないほど多くの繊細な注意が払われている」と記述している。
 古代の日本建築は、シンプルな構造であるが、それゆえそれに対応した緻密な技法が使われており、それが、あのゆったりとした優美な曲線を描く大屋根を造り出しているといえよう。時代が下がるのに従い、建物の構造が高度化し、軒下は、大屋根の一部という重要な役割から解放され、その分、装飾性が高まっていくともいえよう。それゆえ、これはこれで垂木、斗栱の組み方や蟇股、木鼻など、その造形が複雑化し、色彩も豊かになっていくのも面白い。奈良の古代建築と日光の東照宮の軒下を比較してみると明確にその差が分かる。
 こんな違いを観察しながら、写真を撮るのも一興だ。



公益財団法人日本交通公社「美しき日本 全国資源台帳 たびれぽVol.5日本の軒(のき)、庇(ひさし)」にも寄稿。
https://tabi.jtb.or.jp/tabirepo/japanese-noki-hisashi/
参考・引用文献
「伊東忠太著作集 2 (日本建築の研究 下)」1982年 原書房 64・72/284 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12421029/1/64
和辻哲郎「古寺巡礼」 Kindle版

 

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