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お寺のある風景
「青丹によし」とは奈良の都の枕詞だが、本来の意味としては、青の土に、建物の朱の組み合わせを指しているという説も諸説のなかのひとつにある。今、奈良、京都の街を歩くと、ここにある神社・仏閣の創建当時の都市風景はどんなだろうと、考えてしまう。
奈良に都があった、飛鳥京や平城京の当時の様を考えれば、枕詞のように、朱あでやかに、金箔が光り輝く、神社仏閣や、貴族の屋敷に対し、庶民の町並みは、板張りの屋根、あるいは、竪穴式の住居まであったという。その対比が、きっと、より一層、権力や権威を象徴していたのではないかと、思う。いまの神社仏閣は時としてくすんでいるように見えることもあるが、往時にさかのぼってその風景を想像してみる価値は十分にある。
例 えば、法隆寺。いまは、JR法隆寺駅から法隆寺に向かっては歩けば、変哲もない田園風景と郊外のロードサイドの店舗が並び、それを抜けると、これまた、どこにでもある住宅地に入る。そのさきに法隆寺の参道が住宅やお土産物屋さんに迫られながら、なんとか筋を通している感じだ。でも、創建当時は、きっと、木津川水系を難波津から上がってくると、突然、大和盆地の視界が開け、班田が奇麗に整備された中に、小さな集落が散在する。そのなかに小高い山を背に、忽然と、五重塔を始め、法隆寺の甍が並ぶ。そのきらめきの荘厳さに圧倒されることは間違いないだろう。なんて想像してみるのも悪くない。
神社仏閣は、その縁起を紐解き、安置されている仏像などの国宝に蘊蓄を楽しむのも、もちろん、良い。でも、すべての歴史を重ねつつ、いまある姿をただ、呆然と見つめる、あるいは、その雰囲気に身を置き、予備知識なく、妄想にふけるのも、別の楽しみ方かもしれない。 典然
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